第2章 子どもたちの声を無視した有識者会議

 

1.活かされなかった子どもたちの声

(1)子どもと先生ではちがう不登校の認識

   ・・文科省の二つの調査結果の乖離・・

“不登校は、子ども自身の「無気力・不安」「生活リズムの乱れ」や「親子の関わり方」、そして、「いじめを除く友人関係」など「本人」と「家庭・親子関係」にその主な要因がある。”これは、文科省が毎年行っている「問題行動等調査」から導き出される不登校の要因です。

 これに対して、“「先生との関係」や「いじめやいやがらせなどの友達関係」、そして、「勉強が分からない」ことが大きな原因やきっかけとなって不登校になった。” と示しているのは、これまた、文科省が実施した「実態調査」が示す不登校の要因です。

 「問題行動等調査」の回答者は先生です。一方、「実態調査」の回答者は不登校の子どもです。このように、先生と子どもでは、不登校の捉え方がまったく異なっています。

 

(2)二つの調査について

2020(令和2)年に設置された不登校対策を検討する文科省の有識者会議「不登校に関する調査研究協力者会議」(「協力者会議」と略す)に二つの調査結果が資料として提出されました。

 一つは、文科省が毎年行っている「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(「問題行動等調査」と略す)です。文科省の不登校対策は、この調査資料を基に考えられてきました。

 不登校に関する調査は、以前は「学校基本調査」に含まれていましたが、いつの間にか、「生徒指導上の諸課題に関する調査」の中に位置づけられ、現在は、「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」として行われています。(ちなみに、文科省は、「不登校は問題行動ではない」と言っていますが、実際は、生徒指導上の諸課題の中に位置付けているのです。)

 もう一つは、「協力者会議」に不登校当事者の声を反映させることを目的に、2020(令和)年に実施された「不登校に関する実態調査」(「実態調査」と略す)です。

「実態調査」は、不登校当事者の声を「協力者会議」に反映させるために、わざわざ、文科省が準備をして実施しました。調査は、2020(令和2)年当時に不登校だった小学6年生と中学3年生を対象に行われました。

 

(3)「協力者会議」で、「実態調査」はどのように扱われたか

第1章「なぜ、子どもたちは学校に行けなくなるのか」で明らかにしたように、これら二つの調査結果には大きな差異(乖離)があります。

このような乖離は、2001年と2011年に文科省が行った「不登校生徒に関する追跡調査」でも明らかになっていましたが、「協力者会議」に資料として出されたのは、今回が初めてです。

文科省のホームページから「協力者会議」の議事録を見ることができますので、興味のある方、詳しく知りたい方は、文科省のホームページを見てください。

「協力者会議」では、「問題行動等調査」と「実態調査」との乖離について、委員からの発言がありました。しかし、なぜか、座長が発言を引き取り、扱いを事務局と相談するとし、そして、次回の会議に事務局から乖離に関する説明がされています。しかし、会議のまとめとして出された報告書では、二つの調査結果の乖離について、わざわざ項を起こして説明(弁解)が行われています。不登校当事者の声を「協力者会議」に反映させるために行われた「実態調査」ですが、結局、「協力者会議」では議論されることはありませんでした。

議論もせずに、どうして、子どもたちの声を活かすことができるのでしょう。

 

2.文科省・「協力者会議」は乖離にどう向き合ったか

(1)乖離に対する「協力者会議」の報告書の説明

二つの調査の乖離について、「協力者会議」の報告書には次のように書かれています。

○ 「今回、不登校の要因・背景(実態調査では、『最初に(学校に)行きづらいと感じ始めたきっかけ』)について『令和二年度問題行動等調査』と『実態調査』の結果に乖離が見られた。」

 ○ 「教職員との関係をめぐる問題」(実態調査では『先生のこと』)や「学業不振」(実態調査では『勉強が分からない』)であった。」

 ○ 「実態調査において主たる要因でない可能性があるとはいえ、これらの点について学校が認識しているよりも多くの児童生徒が感じていることが明らかになった。」

 

 このことから、「協力者会議」は「教職員との関係をめぐる問題」や「学業不振」につい

て乖離があることを認めながら、「実態調査」に表れている要因を主要な要因でないと判断

していることが分かります。

さらに、乖離が生まれた原因を次のように分析しています。

○ 「問題行動等調査」は学校を対象とした悉皆調査で、主要な要因を一つ選択することとしている。

○ 「実態調査」は不登校児童生徒本人を対象とした抽出調査で、あてはまる要因を複数回答するものであるから、より幅広く回答された。

 調査対象者数や調査手法等の違いによって差が出たものと考えられる。

 

要するに、一方は全員を対象にした悉皆調査で、主要な要因を1つ選択することになっている。もう一方は抽出調査で、あてはまる要因を複数回答するものであるから、より幅広く回答された。

調査対象や調査方法が違うから乖離が生じた。これが「協力者会議」の見解です。

確かに、「問題行動等調査」は、回答者が学校(先生)であり、学校基本調査と同じく、在籍児童生徒の状況を報告・回答することが義務付けられている全数調査(悉皆調査)です。そして、「実態調査」は、回答者は不登校当事者の子どもで、調査人数も限られた抽出調査です。

「実態調査」は、「対象者の令和元年度に不登校であった者のうち、学校又は教育支援センターに通所の実績のある者を対象とし、全く家から出られないような不登校児童生徒の状況等、全ての不登校児童生徒を反映した調査ではない点に留意する必要がある。」と報告書が指摘しているように、不登校者全員に対する調査ではなく、調査時点で調査可能な児童生徒に限られた抽出調査のようです。

しかし、抽出調査になったのは、不登校の子どもたち全員を対象にした調査を実施することが困難なため、調査可能な子どもたちを対象に実施せざるを得なかったからではないでしょうか。

文科省が不登校当事者を対象とした調査は今回が初めてではありません。過去、不登校の当事者を対象とした「追跡調査」を2回実施しています。それらの調査は、調査準備会を設け、入念に準備した上で実施されています。その時の調査結果も、今回と同じ傾向を示していますが、2回の「追跡調査」は、不登校の子どもたち全員を対象にした調査の困難さを教訓にしていたはずです。

文科省は、不登校当事者の認識が「問題行動等調査」との間に乖離のあることも全員を対象にした調査の困難さも知っていました。知った上で、「協力者会議」に「当事者の声を反映する」ためと称して、同じ方法で「実態調査を」を行ったのです。

調査対象、調査方法を理由に、「実態調査」に表れた子どもたちの思いを「主要な要因ではない」と言ったり、乖離の原因にしたりするのは、あまりにも不誠実ではないでしょうか。

もし、そのことを理由とするならば、より正確な子どもたちの声を知るために、改めて、不登校の子どもたち全員を対象とした調査を実施すればいいでしょう。

 

(1)  乖離はなぜ生まれたのか

(ア)悉皆調査と抽出調査について

 悉皆調査は、「国勢調査」で用いられる方法であり、全体の実情が分かり誤差が生じにくいと言われています。他方、抽出調査は、「世論調査」に見られる方法であり、全体の傾向を知ることができると言われています。どちらも、調査方法として実績があり、定着しており、どちらも、調査目的に応じて活用できるものと言えます。

 今回の場合、どちらの調査も、不登校の要因やきっかけを知るために実施されたものであり、とりわけ、「実態調査」は、「協力者会議」に不登校当事者の声を反映させるために計画され、実施されたものです。

 二つの調査に乖離があるからと言って、子どもたちの声を会議に活かすことに、何ら差し障りはないないでしょう。乖離があればなおさら議論を深める契機になるでしょうし、有意義な議論ができるのではないでしょうか。

 

(イ)回答数が乖離を生み出したのか?

 「報告書」は、「問題行動等調査」は、主な要因を一つ選択」、「実態調査」は、あてはまる要因を複数回答するものであることから、より幅広く回答がされた」から、乖離が生じたとする見解を示しています。しかし、第一章の資料で分かる通り、「問題行動等調査」は主な要因のほかに「主要でない要因」についても調べています。その結果を合わせても、調査結果の集計には大きな変化は見られません。回答の仕方で乖離が生まれたと断じることはできません。

 

 (ウ)乖離はなぜ生まれたのか

調査対象、調査方法、回答の仕方などによって乖離が生じたとは言えないようです。では、なぜ、乖離が生じたのでしょうか。

考えられるのは、二つの調査の回答者です。設問に対してどのように答えるかは、回答者の認識が反映されます。回答者がちがえば、自ずから回答の内容も異なってきます。乖離がどうして生じたかは、回答者が異なるからではないでしょうか。「問題行動等調査」の回答者は学校の先生です。一方、「実態調査」の回答者は不登校当事者の子どもです。先生と子どもの認識の違いが、乖離として表れたのではないでしょうか。

 

(エ)乖離は単なる認識の違いか? 

「報告書」は、「実態調査において主たる要因でない可能性があるとはいえ、これらの点について学校が認識しているよりも多くの児童生徒が感じていることが明らかになった。」と言っている。はたして、乖離を単なる認識の違いで済ませていいのでしょうか。

不登校は、子どもたちに大きな負担を負わせています。とりわけ、自己肯定感の喪失は、子どもたちの発達・成長に大きな影響をもたらせている。それを取り戻すための苦しみは計り知れません。子どもと先生の認識の違い(乖離)は、「実態調査」に表れた子どもたちの思い、子どもたちの悲鳴が、先生に届いていないことを表していつのです。

よって、「二つの調査結果の乖離」とは、「問題行動等調査」が不登校の子どもたちの思いを反映していないことを意味しているのです。

「協力者会議」は、乖離を認識の違いとして済ませてしまいました。当事者の声を反映させるための調査に応え子どもたちがせっかく上げた声を「主たる要因でない」とさえ言っています。なぜ、率直に子どもたちの思いを受け止められないのか。

子どもたちの声を率直に受け止めればいいものを、受け取らないのにはそれなりの理由があるものと考えられます。子どもたちの声は、不登校の要因として「先生」「友達」「授業」を挙げています。「先生」「友達」「授業」とは、そもそも学校を構成している重要な要素で、学校そのものではないでしょうか。それらが不登校を生み出している要因だと子どもたちは言っているのです。つまり、学校そのものが不登校を生み出していると言ってもいいでしょう。

子どもたちの声を率直に受け止めれば、これまでの不登校に対する認識が覆ってしまいます。“不登校の要因は、主に子ども自身と家庭にある”という「問題行動等調査」に基づいた認識が崩れてしまいます。「問題行動等調査」は、文科省の不登校対策の基礎的な調査資料です。この調査を基に、不登校対策が考えられ、実施されてきました。そして、今、現在、「教育機会確保法」と新しい文科省通知を基に “不登校の子どもは、学校以外の場で学べばよい” とする新たな不登校対策が繰り広げられています。「実態調査」に表れた子どもたちの声を認めると、こうした対策の根拠が一気に崩れることになりかねません。

事実、「協力者会議」で、「実態調査」に表れた子どもたちの声が議論されることはありませんでした。

子どもたちの思いとかけ離れた調査結果を基に講じられる不登校対策が、本当に子どもたちの為になるのでしょうか。そして、不登校問題の真の解決につながっていくのでしょうか。不登校対策の妥当性が問われることでしょう。そして、「協力者会議」そのものの存在意義が問われることでしょう。

 

3.子どもたちが訴える不登校問題の真実

(1)子どもたちが指摘する不登校の三大要因

改めて、子どもたち声に耳を傾けましょう。

  ①「勉強が分からない」

  ②「先生のこと」

  ③「いじめ」

不登校の要因がさまざまある中で、これらが、子どもたちが言っている不登校になった主要な要因です。

 だとすれば、不登校をなくすには、これらのことを解決すればいいのではないでしょうか。

○誰もが分かる授業

○先生が子ども一人ひとりと向き合える学校

○たがいに認め合える子ども集団(学級・学校)

 どれも難しいことではなく、誰もが望む学校の姿ではないでしょうか。そして、どれも、先生たちのやりがいのある実践ではないでしょうか。子どもたちにとっても楽しい学校になることでしょう。

 子どもたちの声を素直に受け止めれば、不登校をなくし、不登校問題を解決する道すじが見えてくるでしょう。

 

(2)不登校問題は学校教育・教育政策によって起きている

なぜ、子どもたちが学校に行けなくなるのかを、二つの調査結果の乖離から考えてきました。

わが子が不登校になった時、多くの親は、自分たちの育て方が間違っていたのか、育て方に問題があったのか、と自問自答し、自分を責める場合が多々あります。また、みんな学校に行っているのに、自分だけ学校に行けないことに苦しむ子どもも多くいます。

文科省は、毎年、10月ごろに、「問題行動等調査」を発表します。テレビや新聞がそれを報道する時、文科省の報告を基に、不登校の主要な要因についても取り上げることがままあります。そのようなことを通して、不登校の主要な要因は子ども本人や家庭にあるという調査結果が広まっていきます。それが数十年も続いているのです。

不登校は本人や家庭の問題という認識が、世間一般の認識として広まっていっても不思議ではありません。

しかし、二つの調査の乖離を考えることを通して、不登校は、決して、子ども自身や家庭の課題で生じているものではなく、この国の学校教育・教育政策から生まれていること気付かれたことでしょう。

 

(3)なぜ、文科省・「協力者会議」は乖離に向き合えないのか

文科省は、過去二回、調査研究会を設置して同様の調査をしてきた実績があります。その際の調査結果も、今回の「実態調査」と同じ傾向を示していました。

二つの調査結果に乖離があることを承知の上で、は、文科省は「協力者会議」に不登校当事者の声を反映するために「実態調査」を行い、調査資料を提示しました。(第一章の調査資料参照)

 「協力者会議」でも、議論になることは予想できたと思われます。にもかかわらず、委員から乖離について指摘や意見が出ると、座長は、座長預かりとし事務局と相談するとしました。そして、次回の「協力者会議」で、乖離についての説明を行いました。

二つの調査に乖離があるからと言って、子どもたちの声を会議に活かすことに、何ら差し障りはないないはずです。。乖離があればなおさら議論を深める契機になるでしょうし、有意義な議論ができるのではないでしょうか。そうしないで、乖離があることが何か都合が悪いとでもいうように、議論を避けることは不登校対策を考える「協力者会議」の在り方としてどうでしょう。何か都合の悪いことでもあるのでしょうか。

文科省の不登校対策は、「問題行動等調査」を基に講じられてきました。「実態調査」は、「問題行動等調査」と大きくかけ離れ、真逆の結果を示しています。そのことは、これまでの不登校対策の根拠が崩れることを意味しています。(不登校対策については第3章で考えます。)

文科省、「協力者会議」が乖離にこだわり、「実態調査」を軽んじるのには、そうした背景があるのではないかと私には思えます。故に、子どもたちの声は活かされずに、捨て置かれてしまったのでしょう。