不登校を成長へのチャンスに!

 

   学校だけが学びの場ではありません
             学校へ行かなくても 子どもは育つ

 

1.はじめに (本レポートの問題意識) 

【文科省の不登校認識】

 

2019年、小中学生の不登校者は18万人超を数えました。実に、小学校では125人に1人が、中学校では26人に1人が不登校になっています。不登校者が1万人を超えて社会問題化して45年、文科省が初めて「登校拒否に関する手引書」を作成して38年経ちます。その間、文科省は様々な不登校施策を行ってきましたが、効果は見られず、今日、不登校者数の数は、45年前の18倍にまで増えました。

このような状況に対して、文科省は、2019年10月、これまでの不登校施策を集大成した「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知を出しました。

通知(文科省の不登校政策)の内容は、「不登校でも、学ぶ意欲のある子どもは、無理して学校に来なくても、フリースクールなど学校以外の場で学んでもよい。」というものです。

文科省は、不登校問題の本質から目を背け、公教育の責務を放棄し、不登校の責任を親と子に押し付け、不登校の子どもを見捨てようとしているのです。

そのような状況の中で、不登校の子どもや親はどうすればいいのでしょうか。不登校問題とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

 

【不登校への不安】

わが子が不登校になって心配しない親はいません。

勉強はどうなる。学力は付けられるのだろうか。進路はどうなるのだろうか。高校へは行けるのだろうか。

学校へ行けないと社会性は身に付けられるのだろうか。友だちと一緒に遊んだり活動したりできなくなってします。

学校へ行けなくなって、家に居ると、生活リズムは乱れるし、ゲームや漫画三昧で、ダラダラしてばかりいる。

などなど、心配なこと、不安なことばかりです。

文科省は通知の中で、不登校への認識に関して、わざわざ、2つの留意点を挙げています。

学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在する」

と。そんなことは、改めて言われるまでもなく、百も承知です。

 

【発想の転換を!】

 

しかし、不登校って、そんなに悪いことばかりではありません。

私がこれまで出会った不登校の子どもたちの多くは、自らの進路を、自らの手で切り開いて行きました。学校に行かなかったからこそ、自分の目指す道を見つけることができた子がいた。学校に行かなかったから、じっくり自分の力を伸ばす子もいた。

かつて、能重真作さんは、「不登校の子どもたちは哲学者である。」と言った。自分を見つめ、真実を見つめ、物事を深く考える力を持っていると。

また、不登校になることによって、自分の持っている興味や関心に気付き、自分の可能性を試してみることもできることがあります。

不登校って捨てたものではありません。

不登校を否定的に捉える必要は全くないのである。不登校を恐れなくてもいいのです。

不登校を素直に受け入れ、不登校を成長の機会にすること。それが、私の希望です。

 

不登校に向き合い、不登校の中で成長していった子どもたちの様子を紹介しながら、不登校が投げかける様々な課題について考えていくこと、そして、「子どもとは何か」「学ぶとは何か」を考えることが、本レポートの問題意識です。

 
2.不登校でも子どもは育つ  (具体的事例)

A君の場合】

 

A君は、現在26才。小学2年生から卒業まで不登校だった。

卒業前に、「やりたいことが出来たから、中学校は行く。」と言い、中学、高校はインフルエンザに罹患した時以外は休むことはなかった。

 

A君の「やりたいこと」とは、英語をはじめとした語学の勉強だった。ほとんど独学であったが、英検などに取り組み、大学は、国際文化学科に入学し、フランスへの留学もした。

大学を組卒業後は、語学を生かせると観光関係の仕事に就きながら、通訳士の資格取得を目指して勉強を続けてきた。1月からは、国際協力に取り組む団体に転職が決まっている。

 

A君が小学校を卒業する時に書いた作文には、自分の不登校を振り返って、「僕が学校に行かなくても、誰も責めなかった。それが嬉しかった。」と書いていたそうです。

A君は、学校に行っていない時、ビデオを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだりして1日を過ごしました。1日24時間、自分であれこれ考えて過ごしていたようです。

ホラーのビデオも震えながら見ていたようです。それを心配したお兄さんが、「これでも見たら」とアメリカのドラマのビデオを貸してくれたそうです。それから、外国ドラマに興味を持ち、のめりこんでいったそうです。 小学4年生の時、両親に英和辞典を買って欲しいと頼みました。ドラマの音楽に興味があり、英語の歌を日本語で理解ししたかったようです。

それから、A君の独学での英語の勉強が始まったそうです。

英語の勉強こそ、A君が見つけたやりたいことだったようです。

その勉強は、今も続いています。

 

不登校だったから、時間がいっぱいあったから、出来たことかもしれません。

 

 

Bさんの場合】

 

Bさんは、今、29才。結婚しています。

Bさんは、小学校低学年から学校に行きづらくなり、行ったり休んだりを繰り返していた。

なかなか漢字が覚えられず、お母さんもイラつくことがあったようです。高学年になって発達検査を受けると、アスペルガー症候群という発達障害だということが分かりました。

漢字を覚えることに苦労したのも、それに起因することが分かり、お母さんのBさんへの理解が深まっていきました。

 

Bさんは、自分に合った勉強や活動ができるようにと、中学校からは、支援学級に入り、高校は支援学校に通いました。卒業後は、陶芸の大学校へ進学した。

わたしは、Bさんの学習支援を一時期したことがありますが、絵を描いたり、算数クイズや問題を解いたりしましたが、何事にも積極的に取り組め、少々難しいことにも根気強く向き合うことが出来た。

ある時、私は子どもたち4人と京都市にある科学館へ出かけた。集合場所までBさんは路線バスを使ってやってきた。初めて一人でバスに乗ったのだが、乗るバスを間違えながらも、何とか集合場所の亀岡駅までやってきた。JR、地下鉄を利用して科学館へ行き、1日を過ごした。

次の日から、Bさんは学校へ行きだした。

 

Bさんは、幼いころから“ボイスレッスン”を受けていた。少しでも自分を表現できるようにと、お母さんが勧めたものだ。このことを通してBさんは歌を歌うことに自信を持った。Aさんが成人した後だったと思うが、イベントで歌うBを見た。

 

「発達障害と分かった時、目からうろこが落ちた思いだった。子どもを理解し、子どもの気持ちに寄り添っていくことがどれだけ大事かが分かった。」と、お母さんが言っておられたことが印象に残っています。